設計課長Sのつぶやき

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教育の最大の目標は・・・

教育の最大の目標は知識ではなくて行動である。

-スペンサー(イギリスの哲学者)-

『教育』の最大の目標。

社会的に『教育者』といわれる人たちの中で、このことをしっかりと認識しながら
人(例えば生徒と呼称される人たち)に対して『教育』できている人はどのくらいいてるのでしょう。

小学校の先生に例えて、
子供たちに、率先させて考えさせたり発言させたり行動させたり・・・と
『自己啓発』を主とする授業を行う先生。
とにかく知識や方法を刷り込み『受験対策』を主とする先生。
上下関係をしっかり植え付ける『体育会系』な先生。

目の前の生徒が教育者に期待する『目的』として
どれも正解の様な気もするし、どれも優劣つけれる類のものではないのかも知れません。

私ごときが、どの『教育方法』が一番正しいなどと言える立場ではありませんが、
どんなアプローチの仕方であっても、全ての先生が
『次の世界へ送り出す』という共通した使命を担っていることは間違いないと思います。

小学校の先生は中学校という世界へ。高校や大学の先生は社会人としての世界へ。
そしてそれは何も職業が「先生」にだけ押し付ける類のものではなく、
例えば、新入社員を教える先輩社員も同様に「一人前の世界」へ送り出す使命を担っているのだと思います。

そして親は、我が子に対して一生『次の世界』へ送り続ける使命があります。

我が子たちには
『自分で考え、判断し、行動できる』
そのような人間になってもらいたいものですね。

行いは己のもの。

行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない。

-勝海舟(幕末の政治家)-

個人差はありますが、誰でも他人からの自分の評価というのは多少は気になるものです。

しかし、どんな天才でも秀才でも凡人でも、みな一長一短があるわけで、
誰からも批判をされないことなど、ほぼ不可能だと思います。

『批判』を『ひとつの意見』と受け入れることも大切だとは思いますが、
あまり気にし過ぎて、自らの行動や判断に悪影響を与えさせてはいけない。

自らの行動や判断への責任は自分にあるが、
『批判するだけの人』は
大抵『無責任』だったりするものです。

そして、そんな『無責任な批判』をする
『無責任な人』にはなりたくないものですね。

人との間には・・・

人との間には、壁よりも架け橋をかけよ。

-アイザック・ニュートン(イギリスの数学者)-

最近、仕事でよく関わる事になったある会社の社長さんと食事をする機会があり、いろいろな話を聞けました。

その人が言うには
『私の仕事を繋いでくれているのは“人”。
私が苦しい時はきっと相手も苦しいんです。
ニコっと笑って耐えていれば、いずれその人を通じて倍以上の大きさで本当に笑える時が来る。
世の中そんなもんですよ。
あの辛さによく耐えれたなと、自信にもなりますしね(笑)』

苦しい時こそニコっと笑って楽しみにしておきましょうよ♪

何を楽しみに?

その時の苦労話を酒の肴に腹から笑える時の事をです(笑)

夢は夢見た時から一歩・・・

夢は夢見た時から一歩、現実の道を踏み出している。

-イルカ(歌手)-

夢は見るものではなく叶えるもの。

実際に夢を叶えた人から聞いてしまうと、こんな説得力のある言葉はないですよね。
でも、現実として全ての人が自分の夢を実現しているわけではありません。

夢の大きさも様々で、人生をかけるような大きな夢もあれば、
一日の努力で叶ってしまう夢もあると思います。

最近、自分の小学校時代の卒業文集を見つけました。
当時の私が書いた『夢』は『職人さんになること』だと。

思わず『何の?』と、ツッコミたくもなりましたが、まぁ当時の私の思考能力ではこんなもんかと(笑)
それに『現実ともそんなに外れてないね』と思いながら(5年ほど前まで内装工事の職人をしていたので)
『こんな事書いてたんだな…』と完全に記憶から外れていたことにも気付いた。

今の今までその頃の夢を忘れてはいましたが、きっと潜在意識では忘れていなかった…のかな?
ということは、もし違う夢を書いていたら…
今とは違う「今」を迎えていたのかも知れませんね。
でも今まで本当に意識した事はないのでやっぱ今の現実と、さほど違わないのかなとも思います。
たまたま子供の頃の『夢』と近かったのかなと。

なにはともあれ大きくても小さくても『夢』を実現している人に共通していることは
『夢を“忘れず”見続けている人』だということ。
それも『夢を叶える為に必要な時間』見続けているということ。

一日で叶う夢なら一日見続ける、人生をかける夢なら一生…
要は『忘れないこと』なんですね。

失敗しても・・・

失敗しても構わないが、失敗するなら早くしろ。

-ラリー・ペイジ(Google創設者)-

近頃は「失敗」を許容する、もしくは肯定する発言や指導方法などが増えてきたように思います。

「失敗をしないと得られない事がある」
「先ずは失敗をしてみろ」
「失敗は誰にでもある、大事なのはこれからどうするか」
など、結構よく聞くフレーズですよね。聞いてて耳心地も良く励みになります。

しかしどんな失敗も、全てが許容されるのかと言えば
やはりそんな事は無く、失敗はあくまで失敗であり
周りや自身に何かしらの損失を与えうるものなのです。

つまり失敗にも「良い失敗」と「良くない失敗」があるという事ですね。

積極的に動いた結果の失敗と
怠惰による失敗。

どんな努力も報われる・・・わけではなく、
質の高い努力は報われるが、質の低い努力は報われない可能性も高い。

失敗も「質の良い失敗」は次に活きるが
「質の悪い失敗」はただ迷惑なだけ。

失敗した時・・・
原因が自身だろうが相手だろうが、やってしまった失敗を許容する前に、
「どういう性質の失敗」だったのかを見極める事から始めたいと思います。

ここでつぶやく内容はあくまで“S”本人の主観であり、個人的な想い入れであり、非常に勝手な解釈による「つぶやき」です。
会社の運営や経営方針、経営者の見識などを反映するものではありません(笑)

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