設計課長Sのつぶやき

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予防は治療にまさる。

予防は治療にまさる。

-エラスムス(カトリック司祭・哲学者)-

私たちの建築業界では『危険予知』という言葉をよく耳にする。
危険な状況を想像、想定し、起こりうる前に打開、回避させるという様な意味

予知・・・すなわち予め知る・・・ものごとに気付く。

こんな話を聞いたことがあります。
『沸騰したお湯が入った鍋の中にカエルを放り込むと、当然カエルは慌てて飛び出します。

今度は水が入った鍋の中にカエルを入れると、カエルは何ごとも無く鍋の中で泳ぎ出します。
その鍋に非常に弱い火をかけ、ゆっくりゆっくりと水の温度を上げていくと、やがて鍋のお湯は沸騰するが
カエルは温度の上昇に気付かずに、ゆで上がって死んでしまうという。』

この『ゆでガエル』の話は何もカエルだけに限った話ではなく、私たち人間にも十分当てはまるのではないでしょうか。

はっきりと目に見えるような大きな変化が起こらない環境で何年も過ごしていると、
実は徐々に劣悪になっていくその微妙な変化には、なかなか自分自身で気付くことは難しい。

そうしてゆっくりと時間をかけて未来の自分に対しての『予防』が出来ていない状態に陥ってしまうことも。
そして、気付いた時にはもう『治療』しても手遅れなほど、事態は悪化(年齢など)してしまっていたりする。

私は数年前に、それまで18年間勤めた会社を辞め、転職をして今の会社に勤めるようになりましたが
今思えば、前の会社に勤めていた頃の当時の私にも、少しだけ『ゆでガエル』の部分があったのかもわかりませんね。

高校を卒業してすぐに就職し、人生で初めの社会人。
今の時代の様にインターネットなど無く(有ったのかも知れませんが私や私の周りの人たちとは無縁でした笑)
自分の周りの環境、それもかなり狭い視野半径の環境のみが『世の中』だと信じていたと思います。
自分の置かれている環境に『何かを疑う』ことなど、正直なところ想像もしていませんでした。

もちろん前の会社で諸先輩方に教えて頂いたこと、培った経験などが今の自分を形成しているわけで
そこでこそ知り合えた全ての人、お世話になった人たちへの感謝は今も事あるごとに思い出すわけですが、
当時、全てに納得できていたわけではなかったのも事実ですね。

出てみて初めて分かる事、本当にたくさんありました。
海外旅行をして初めて知る外国の良さ、日本の良さ。外国の不便さ、日本の窮屈さ。

一つの会社で長く勤め上げることはとても尊い事であり、そういう方たちには心から敬意を表します。
私は結果的に一つの会社で生涯を全うすることは敵いませんでしたが、

あらためて今、自信を持って心から『自分の判断は間違っていなかった』と断言できます。

 

多数の友を持つのは、ひとりの友も持たず。

多数の友を持つのは、ひとりの友も持たず。

-アリストテレス(古代ギリシャの哲学者)-

『親友は何人いますか?』
と聞かれて頭にパッと思い浮かぶのは…たった2人。
その後、ゆっくりと数人の顔がポツポツ。

『親友』の定義なんて分かりませんが、個人的な解釈は

『勝手に土足で入って来たり、たまにちゃんと靴を脱いで入って来たりする。
でも、そのタイミングがこっち側の要望するタイミングといつも合致する。』
そんな存在。

でも性格や好みは2人共私と全然違うんですよね。
要は『周波数』が合うって感覚ですかね。

無数にある『チャンネル』の中から、自分の周波数と『近い人』なら何人かはいますが
『ピッタリ一致する人』なんて、そんなにたくさんいてるわけがない…ってことで
『友達が少ない』事への弁明くらいにはなりますよねσ(^_^;)

 

黒い土に根を張りどぶ水を吸って・・・

黒い土に根を張りどぶ水を吸って、なぜ、きれいに咲けるのだろう。
私は大勢の人の愛の中にいて、なぜ醜いことばかり考えるのだろう。

-星野冨弘(詩人・画家)-

周りの環境によって気持ちが腐ってしまう人がいる。
それを周りのせいにして諦めている人がいる。

でも、周りの環境がどうであっても“心の芯”さえしっかりしていれば、
「自分」ってものは変わらない。

それどころか、時には周りをも変えてしまう力だって持っている。

周りに助けられ
周りに失望させられ
周りに振り回される事で
改めて見つける「自分」の心の芯

そういう経験を何度も何度も繰り返して「自分」を高めていく
良くも悪くも「周り」のおかげ

わざわざ「周り」に振り回される必要なんてな無いと思いますが
過去の「周り」が、現在の「自分」を創り出してくれた事への感謝は必要

「良い周り」も「良くない周り」も、両方在って今の「自分」が在る
人間ってそういう生き物だと思うんですよね。

心に安心と自信を・・・

心に安心と自信をもたらす最も大きな要因は「経験」。

-斎藤茂太(精神科医)-

街中の桜も満開となり、新年度を感じる季節になりました。
今回は毎年この時期になると特によく考えさせられる事案について
昨今、大半の企業に共通する悩み事があります。

少子化の影響による人手不足、そして離職率(一般的には入社3年以内での離職を意味する)の上昇。
しかし企業として人材を確保することは、企業存続に決して欠かすことはできない重要課題です。

そして、せっかく確保した人材を「どう育成していくか」。
これがなかなか答えの見つからない本当に難しい超難問。

教育方針・・・
一昔前では世間一般的には「新人は社風に合わせるもの」「郷に入れば郷に従え」的な?
今の風潮だと「時代に合わせる」「相手(新人側)に合わせる」「個性の尊重」などになるのでしょうか?

いずれの方針にしても、共通して言えるのは
結局、本人がやる気を起こすための『動機を見付ける』事が出来るか
そしてそのモチベーションを継続させていく為には、自分の仕事に対して
「このまま続けれる」という『安心』と「きっとやり遂げれる」という『自信』
が必要なんだと思います。

ビジネスシーンにおいての『経験』には大きく2種類に分けられます。
それは『成功の経験』と『失敗の経験』
どちらも大切な『経験』だと思いますが、人が大きく飛躍する時には
必ず直前に『失敗の経験』が存在していると思います。少なくとも私の経験上は。

『成功』にも『失敗』にもそれぞれたくさんの『理由』があると思います。
もちろん事前にしっかりと計画を立て、確信の中で収める成功もあると思います。
しかし、中には「なんだかよく分かんないけど上手くいっちゃった」なんていう経験、誰しも一度や二度はあると思います。
『成功』には『理由』が無い、もしくはよく分からない“時の運”の様な『偶然』の要素も含む事があると思います。

では『失敗』は?
『失敗』の要因を突き詰めていくと、必ず明確な『理由』が浮かび上がります。
失敗に偶然はない。『失敗は必然』なのです。
だからこそ『失敗』の経験は貴重なんです。もちろん『理由』を明確にする作業は必須条件です。

上司や先輩が部下、後輩への会話(提言?)でよくあるフレーズ
「そのやり方だと失敗するからこっちのやり方でしなさい」

「あそこで僕がアドバイスしなかったら失敗してたよ?」
皆さんも自身や周りで何度も耳にしたことがあると思います。
もちろん失敗なんて、出来ればしない方がいい。
でも、失敗しないと得れないものを得るチャンスを、むやみに摘み取って人は本当に成長するのでしょうか?

走り出そうとした途端に親から「コケるから走っちゃダメ!」と躾け続けられて、コケたことの無い子供は、
コケることに依って得るはずの「痛さ」や「服を汚す、破く、周りの人を心配させる、傷の手当をしてもらう」など
の事後処理から感じ取る「周り人の時間を奪ってしまい申し訳ないという感覚」
これらを実体験せずに「なぜコケちゃダメなのか?」を、自分の頭の中のシュミレーションだけで明確に答えを出せるものなのでしょうか。
そしていずれ制止してくれる親がいない環境に身を置き、実際にコケた時。本人はどう対処するのでしょうか。
子供ならば、他人といえど周りがフォローしてくれるでしょう。
しかし、他人から見れば既に「子供ではない人」であったとすれば、他人からのフォローはなかなか期待できませんよね。
『子供』を『新人』に置き換えても同じなのではないでしょうか。

会社として、事前に分かっていながら社員に失敗させることは、関係者にも迷惑がかかるし大きくコストもかかる
なにより企業としての信頼を損なわないとも限らない。
とても体力と忍耐の要ることです。
でも失敗からその社員が得ることが多いのもまた事実。

どちらを優先するべきなのか・・・私ごときが答えなんて出せるとは思いませんが
まだしばらく葛藤は続きそうです。。。

自分のしていることに・・・

自分のしていることに興味を持つのは勿論、そのことに喜びを抱いてこそ、はじめて成功できる。

-デール・カーネギー(アメリカの実業家)-

仕事に興味を持てているか?と聞かれれば、答えは『Yes』である。

今の仕事に従事している事に喜びを感じているか?と聞かれれば、答えは『Yes』である。

仕事が好きか?と聞かれれば・・・もちろん答えは『Yes』である。

好きこそものの上手なれ

私は稀な『幸せ者』なのかも知れませんね(笑)

ここでつぶやく内容はあくまで“S”本人の主観であり、個人的な想い入れであり、非常に勝手な解釈による「つぶやき」です。
会社の運営や経営方針、経営者の見識などを反映するものではありません(笑)

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